生活パターン

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2020年11月19日の明けの空。


2020年11月20日の牛水土岐に昨日のことを書いている。ベランダに出ると、夕方に見たお月様の姿はなくて、星も見えない暗い夜空が広がっていて、夜風が心地よく通り過ぎて行った。

モノクローム・プロジェク代表の一色真理氏に新詩集出版の依頼をしたのは昨年の12月半ば過ぎてからだ。了解のメールをいただいたのが20019年12月23日。この新詩集の原稿は2018年3月20に発行された「カバの本籍」以前に書いてあったものを基本に、2020年1月1日から,今を取り入れて「みやうちふみこ詩集・母の詩(うた)」としてか書き始めたもの。その時には、新型コロナウイルスのことなど噂にもなっていなかった。一年も過ぎていないのに、その頃の日常が、まるで遠いことのように、今、とてもなつかしく思い出される。念校まで7か月余りを、装幀の決定を見たのは入稿間際の8月2日だった。この間、わたしの一日の24時間の過ごし方が、それまでとは大分違った。原稿に向かうのは、気が付いたら、日々今頃の時間、午前1時ごろから夜明けまでが普通になっていて、もう、元の普通の時間に戻そうとしても、そう簡単には戻らないことを最近になって身をもって知った。日中は起きていても、起きているように見えるだけ。集中力が満たされていない、まるで頭の中は、夕方見たお月様の形に似ているのかもしれないと思う。どうしてこんな事書いてきたのだろと考えながらいて、思い当たることが見つかったからかもしれない。と分かった。生活パターンを元に戻そうとして、無意識に、なのだけれど無理をしているからではないのだろうか。このごろ気になる、日中の、体調の悪さ。今、夕食の時、余りにも右手が痛むので左右の手を揃えてみると大きさが大分違う。でも、お風呂に入ってぐっすり眠って自然に目覚めた今は、痛みもないし、右手の腫れもさほどでもない。集中力も満月にちかい。家事は、お日様の当たる時間に大きく左右される。夜中起きていて、続きのように午前中、家事に費やす労力。すべてこの間、労力消費のみ。なのに、どうしてそんな過ごし方をしているのだろう。こんな愚問に自問問答しながら、これからの暮らしもつづいていくのだろうと思う。


「手が痛い身体が痛い足が痛い」と嘆くと、「私は、いつだって耳鳴りがざわざわしているし、ちゃんとわたしを見て話してくれないと聞こえないのよ、同じだよ。」と、のたまう人がいても、聞き流していたけれど、『何よ、お母さんの言うことなんか素直に
聞いたことなくって、困った時だけ泣きべそかいて。ここまでの人生貴女はあなたの思いと通りに生きてきて「同じだね。」なんて、どうして言えるの?。』と、罵声を浴びせたら、その人は、昨日まで「疲れた疲れた」と言いながら帰宅して、真夜中までテレビをみているのを、今夜はやめて、自室に引き上げ、早めにベッドに入った模様。

昨日は、虹を思わせるようなきれいな夜明けの空だった。まもなく明けてくる今朝の空は何色しているだろう。大きな風の音が聞こえてくる。