読書三昧の日

快晴。Kayoちゃん休日。休日の朝は、起きてくるのが、たいてい 8時ごろだ。いつもは、そのころまでに、洗濯をすませ、朝食の準備をして、一緒に朝食をとるのだが、今朝は彼女の起床時間までと思い、日々少しずつ読んでいた本をを読むことにして読み始めたのだったが、、朝陽の当たる部屋での読書がやめられなくなって、とうとう家事はほぼKayoちゃんお任せで、わたしは、ほぼ読書三昧の一日を過ごした。お陰様で、今話題の400ページ近い「詩活の死活」読了。遅読ながら、読み終えて、今日の時間を、とても貴重に感じた。

詩人・谷川俊太郎の詩集は「世間知らず」一冊ぐらいしか我が家にはない。と思う。

他には、新聞とか雑誌などに出ている詩を読む程度だった。それなのに、10年近く経つのに、忘れられないことがあるのだ。わたしが四谷のRooneで写真展をした時、会場でお見かけした、単行本を後ろ手にした方のことなのだけれど、丁度、友達が来てくれていた時だったので、話ながらいて、あら、っと気づいて、その方向に足を向けようとした時には、もうその姿は見当たらなかった。けれど、その時のことが、ずっと心の中にあって、でも、なぜか、そのことを話すのは今日が初めて。この著書に出てくる写真を見ながら、あの方は、詩人の谷川俊太郎だったと確信を得たのだ。詩人、谷川俊太郎は、そんなこと忘れてしまっているかもしれないけれどそれは仕方がない。片思い。

山田謙士氏のことは、たしか一度だったか読んだことのある「びーぐる」で知ったような記憶と、モノクロームプロジェクト発行の「犬飼愛生著ストークマーク」(小野十三郎賞受賞)の栞に「犬飼愛生の二十年」を書いていらした方と言う記憶、詩は、忘れてしまっているのかもしれないけれど、読んだ記憶はない。ただそんな出会いなのに、その後、マイフレンドになっていただいたFBで会う日々が、とても気になっていたのだった。甥と同い年位で、甥と同じような体験をして、社会復帰を目指しているお姿が、甥と重なるからだろうか。なにはともあれ、谷川俊太郎の100歳を一緒にお祝いしようとの約束を、共々、果たせますように。

「この本はこれからの私にとって一つのメルクマール になるだろう。」と、あとがきに

したためられている谷川俊太郎氏の言葉がとても印象的だ。 

       

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谷川俊太郎・田 原・山田謙士著「詩活の死活」(澪標)