睡眠の大切さ

2月19日(月)雨 (雨水)

移ろう季節の何と正確なことだろう。

朝からさたさらさらと雨が降つている。

こうした天候のせいだったのだろうか、昨夜と一昨夜の震動と鈍音は、ここに越してきて間もなくのころ、気温が急上昇してきたころの脅威と同じかそれ以上にも感じた。それも、とても不思議なのだけれど、一昨日の夜は、17日の、午後「10時51分」「11時52分」「12時52分」18日の午前「2時43分」「4時50分」の5回、ドコモさんの電柱からの震動と鈍音で目を覚まし、何度か、録音ため動画を撮るのに外に出た。(その時も、すぐやんだけれど、さらさらさらさら雨が降っていたっけ)
  

お弁当用に、前夜、水に戻しておいたシイタケも、夕方まで 水の中に入れたままだった。とうとう一日何する気力も失って、あまり食事もとらないで、かろうじて夕飯の支度だけしはしたのだった。

 

夜は、日曜日なので、8時、テレビの前にいたのは記憶しているけれ見た記憶はない。

眠るときは、隣の和室に居候。入浴後すぐ就寝。疲れていたのですぐに眠りについた。

3時間ぐらいは熟睡したと思う。午前1時には目を覚ましていいる。いつもの震動と耳鳴りかと思うような耳にまとわりつく鈍音。スマホを開くと、最初に、「さいとういそこ」さんの投稿に出合って、、迷惑とは知りつつ、その時の気持ちをコメント欄に投稿。そうしていると気持ちも落ち着いてきて、もうひと眠りできそうな気がして床に入る。いつの間にか眠るのだが、また目が覚めて、どうしようもなくてまたスマホを開くと、また「さいとういそこさん」の投稿と出会って、また、関係ない、私的事を書いて投稿。そんなことを3回か4回は繰り返したろうか。伝えられる、相手のいること。、その過程で不安から抜けられて、書き終えるころには心臓のドキドキも治まってきて、もう少し眠ろうと思うことができるのだ。

今までも、真夜中のラブレターを何通書いたことか.。

お陰様で、昨夜の疲労度は、こうして文章を書けるぐらい元気・・・。

 

先日、詩人の三角みず紀先生のエッセイを読むために買った、「望星3」に、フリーランス編集者・ライターである大西夏奈子さんの書いたエッセイ「マイナス30度の日常」の中に(モンゴルに行った時のことを書いてあるのだが)

『モンゴル人と接していて 以前から気になることがあった。身体を良い状態に保つことを意識する会話が多いのだ。たとえば朝のあいさつでは「おはよう」よりも「よく眠れた?」を頻繁に使う。「よく眠れた」と答えると相手は安堵の表情になり、「あまり眠れなかった」と言うと「大丈夫?」とけっこう心配される。睡眠は薬に勝る、と言う

ことなのだと思う。』という文章に出合って、ほんとうだ、と思った。

 

眠れないのは、体調が悪かったり、心配事 気になることがあったりするからで、そんな時は、詩だって生まれてはこない。今日、こんな風に書けるのは、夕べ少しずつでも眠れたからなのだ。感謝!

 

雨水