岩立先生

ローズマリー

昨日は、7時過ぎ家を出て、千葉駅に着いたのは9時45分ごろだった。

前の夜、長女に、明日雨みたい、とメールしたら、雨は今夜でしょう、と返信があったから そうだといいけど、と返信したら、、 昨日の朝、横浜は重い感じの曇り空だった。

千葉は、出勤時、雨だったと言う花屋の店員さんが「雨やんでいると良いですね」

と気遣ってくれたけれど 外には、薄日が差していた。
  
前回、千葉大学附属病院を訪れたのは、駅ビルも閑散としていて、珈琲飲むところも

見当たらなかった。なので コロナ禍の初め頃だったことになる。そのことは、、

岩立先生に言われて気づいたのだけれど、それまで、岩立先生の診察室を訪れたのは、もう、ずっと前のことのような気がしていたのだ。

岩立先生は、kayo11才。小学5年生の秋、悪性脳腫瘍の手術をしていただいた千葉大学附属病院の脳外科の先生だ。あの頃からもう33年の月日が流れ、岩立先生も 今年は定年を迎えられるのだとおっしゃっていた。

現在は、千葉大学医学部教授。千葉大病院脳外科部長岩立先生。なのだが、今もまだ

岩立先生は kayoにとっても・・・、あのころと変わらない 「岩立先生」のままなのだ。けれど岩立先生の一言は妙薬、即 効き目が現れる。その偉大さも、あの頃と変わらない。昨日も、さんざん「それは、お母さんの心配し過ぎです。」との岩立先生の診断に、kayoは、ほらね!と言うように 勝ち誇った顔をのぞかせていた。

 

だんだん、病院へも一緒に行ってあげられないかも知れないことを想定して、昨日は、

長女にも同行してもらった。堂々巡りばかりするわたしとはちがって、先生との会話から、これからどうしたらいいか、ごく自然に、、的確な判断をし話してくれた。聞きながら、肩のあたりの力が腕から指先へと流れて行くのを感じた。

わたしは、長女にも次女にも、同じように頼るのだが、次女は、長女に多くを委ねているらしい。今回のことも同じだ。それでは長女が大変すぎるのでは、とも思うのだけれど、お互いに合意のもとらしいので、甘えている。あとで、お姉さん孝行して貰わないと、と笑っていたから、それは、姉妹間の問題、関与しないことにしよう。

帰りは、トンカツが食べたい、と言う長女のリクエストに応えて、ヒレカツとエビフライとカキフライの盛り合わせで昼食。そのあと、駅ビルの屋上でハーブの香る風に吹かれながらコーヒータイム。これは、kayoちゃんからだ。

そこは、すぐにでもビアーガーデンが開店できそうなところだった。

 

kayoちゃんのリクエストpaefeは、又ね、になって、 楽しみを残し、東京駅で長女と別れた。良かったじゃない、今日、岩立先生にもお会い出来て、とも言ってくれた。
  
なんとなくそうなったのだと言う4連休を過ごし、今朝、kayoは5日ぶりに出社した。

お休みすぎて、大丈夫だろうか?  また、そんなことを思ってる。