「ナナロク社学校・三角みづ紀詩の教室」自己紹介(文)

 みやうちふみこです。 こんにちは。東京で生まれました。姉二人と兄と4人きょうだいで、姉二人は健在です。戦争で空襲に遭い、(そのころの記憶はありません)両親の郷里、兄、が、「ここから(職場の近く)眺める景色は最高だよ。」と、誇りにしていた「北浦」と言う小さな湖のある、茨城で 高校卒業まで過ごしました。(父は4歳の頃病死)卒業後、六本木の交差点の角にあった文具店に努めたのですが、体調を崩し(今思えは、ホームシック)帰郷。再び上京。伯母の所で義従姉の縫製の仕事を手伝っていて、20歳の頃また郷里に戻り、某商店の事務員を経て、地元の商工会へ「補助員」として勤 務、結婚のため退職しました。

始めての地は大阪の東淀川区三国町で、ちょうど大阪万博の年でした。御堂筋線が開通して、万博にも何回か行きました。その後、大津市、神戸市、川崎市四街道市白井市と転居。振り返ってみると、なんと転居の多いことだったか。住まいもさまざま。大阪では、文化住宅と呼ばれていたアパートの2階で、ドアを開けると階段が部屋につながっていました。大津市では公団の4階。神戸市ではマンションの2階。川崎では、初めは、戦争中からと言う庭付き木造社宅、そのごマンション風社宅へ。四街道市は、いわゆるマイホーム。庭に、白樺とハナミズキヤマボウシを植えました。白井市では11階建てマンションの10階で、西側ベランダからは富士山が遠くに見えました。
 
皆さんより(多分)大きな娘が3人います。今は、末娘と横浜で暮らして(ここは、横浜で3ど目の転居先)います。子育てを終えてから、写真を始め、大阪、東京のギャラリーラリーで、個展をしたりしたこともあります。フイルムが好きだったことや(危ないから)やめて、と言う末娘の懇願に、(体力に加え経済的ことも考慮)ここに転居と同時にやめました。
 
詩は、長い道のりを生きてきて、偶然に導かれた道、今、あらためてそう思っています。こう書きながら、子供の通院に付き添って、待ち時間に読んでいたのはゲーテの詩集だったことを思い出しました。
 
「ナナロク社学校・三角みづ紀 詩の教室」の受講は3回目です。
人生の終わりを詩で締めくくれたら、この上ない幸せです。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
著書
宮内文子写真集「思い出の時間」あきは書館(2012年7月21日発行)
みやうち文子詩集「カバの本籍」モノクロ―ム・プロジェクト(2018年3月20日発行)
みやうちふみこ詩集「母の詩(うた)モノクローム・プロジェクト(2020年10月1日発行)
 

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