なんだか不安だらけだけれど、今日のことも書いておこう。

独自ドメインってなんだろう、・・ホームページのアドレスのことですって。

ディレクトリ・・・フォールダー

不安ながら独自メインド登録って

com.

 お名前ID....................:78215089

以上の通知あり。あとは、編集のみで良いのかとか。

2年契約で自動更新と言うけれど、今からそのあとは1か月とか1年更新にしたいなどと思ったり、こんな時頼れる人といつも身近に接していたらいいのに、ア~メン。

やるしかないのだ。

さて、青木さんの新書、「しのばず」の感想を書いてみよう。

繊細な表現、また、それらが、言葉遊びのようなつながりをなし

何度読んでもあきない不思議な言葉たち。それは想像の世界として言葉を呑みこんでいるから。詩とは読む側にとって曖昧なものである。その法則に従ってのものだと思うのだけれど、果たしてどう?「しのばず」は、「の池」を飲み込んでいる。そこかしこの言葉から光景が浮かんでくる。この辺にして、さぁ、疲れて帰ってくるかよちゃんのお夕飯の支度にかからないと。

 

 

 

わたしの住所

今朝起きてから、明日は会社の健康診断日。と、夕べ、Kayoちゃんが言ってい

たのを思い出し、いつも一緒に過ごす朝食の時間を、散歩を兼ねて、レター

パックの投函にバス停近くのポストまでの往復した。ゆっくりだから30分ぐ

らいだったろうか。ポストまで行って、まだまだ歩けそうよ、と思ったころ、

もう帰りましょう、その方がいいわよ、と、誰かのささややくような声を聞い

たような気がして、道路わきの土手に黄色く咲いていた せいだかわだち草

とススキを一輪手おり、萩とシュウメイ菊をカメラに収めて、紅葉前の、若や

いだような葉色の銀杏並木をながめながら、まだ静かなバスりから団地内へ迂

回して帰途につく。朝刊を取ろうと郵便受けを開けたら、スマートレターが一

通入っていた。私宛なのだけれど、住所はわたしの本籍宛。わたしに届く郵便

物には本籍記載の後に「棟と部屋番号」の記載が必要なのだけれど、記載漏れ

だった。昨日夕刊を取りに行った時間がいつもより早かったから、朝刊と一緒

になったのか、それとも、棟と部屋番号を調べて再配達してくださったのか、

途中、とても心細かっただろうと、ありがとうをこめて、愛おしくて抱きしめ

てしまった。中からは、生まれてまもない、土曜美術出版販売「青木由弥子著

・しのばず」が出てきた。あわてず 騒がず、そっと静かに・・・。

離婚後、千葉から本籍を茨城の実家へ移して、そこから、現在の住居に移した時、

その書類を見て、おやっと思った時のことを思い出す。本籍の番地は、今暮らし

ている団地の番地までの記載で、棟と部屋便号までの記載はない。なので、

3丁目2の4、すべてがわたしの本籍なのである。とゆうことは、3丁目2の4に

居住するすべての方々と、同じ本籍といゆうことになる。他に、離婚後籍を実家

(他どこでも)に籍を移し、また他に移籍すると、それまでの結婚歴は、書類か

らは、消えるという事実を知った。まぁ、それはそれでもいいのだけれど、うっ

かりしたら、母娘の繋がりまで消えてしまいそうな心細さだ。本籍とは何の意味

を成すものなのだろうか。などと今更、どうでもいいようなことをあれこれ思う。

秋だからなのだろうか。

朝、朝陽を見なかった空から、今は音もなく秋雨が降っている。静かだ。

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鎌倉へ


   昨日は、 鎌倉山檑亭(らい亭)で、お蕎麦を食べたあと、
 回遊式の庭園を散策、その後あんみつを食べ、鎌倉駅
 鰺の押し寿司買って帰るという、ちょっともったいないと
 も思える鎌倉散策だったが、今の私にはちょうどいいスケ
 ジュール。鎌倉駅から鎌倉山行きのバスで20分余り「高砂
 で下車。進行方向に歩くこと数分で「らい亭」の入り口。
 入場料500円(食事代から差し引いて下さる)わくわくしな
 がらたどりついた「らい亭」。その庭から眺めた富士山は、
 今までに見たことのない、ほんわかとした姿を宙に浮かべ
 ていた。
 
 回遊式と言う庭園には、ススキの穂が揺れ、つわぶきがあ
 ちこちに咲き、野菊や野アザミ、ツリガネニンジンンや名
 を知らない野草が咲いて、陽だまりには、すいせんが青々
 と葉を伸ばし、もっと奥へ進むと竹と竹とがこすれあう音
 と葉のそよぎと、木漏れ日と石像達、その中には、昔、小
 学校の玄関近くの植え込みの中あった二宮金次郎の石像も
 あったりして、それらの風景が、鳥のさえずりや水音と一
 体となって織りなすさまは、子供の頃のなつかし物語に触
 れた思いがして、、立ち去りがたくも思えた。この季節さ
 くらが咲いたという今年、ここの陽だまりにも見事なさじ
 さいが一輪咲いていた。

 紅葉には、まだ少し早かったのかも知れないけれど、庭園
 のもみじの葉は、台風の塩害をうけてだろうか、紅葉する
 気配もなく茶色にちじれている風に見えた。
 

1989年のわたしの手帳

 

 その手帳の表紙はえんじ色で、年号と文字を囲む四角は金色。

いつもそばにある。表紙を開くと、夫だった人の会社のロゴが

目に付く。夫48才、わたし47才、長女が武蔵大学へ入学、次

女が幕張東高美術科2年生。3女が小学5年生の頃の手帳だ。今は、

あれから29年の年月の流れた2018年を生きていることになる。

その年の8月までは、家族皆が、まぁまぁ健康でウソのように平

和な日々だった。ウソのように希望に満ちた日々だった。

 今は、あれから29回目の秋、10月だ。それまで、病気知らずの

3女だった。5年生になって、児童会の委員を努め、部活では友だ

ちにも恵まれ、パーカッションに楽しみを見つけて、学校生活に

生き生きさが感じられる様になったころ、悪夢のよう病魔があの

子を襲ったのだ。悪性脳腫瘍との診断を受け千葉大学付属病院脳

外科母子病棟へ入院したのは9月25日。一昨日の17日で術後29年。

あのころ、想像も出来なかった術後29回目の秋。いつもの年は、

お赤飯炊いて、ワインで”おめでとう”って乾杯していたのに、今年

は、自分で会社の帰りに大好きなトマトの苺ショートケーキを2つ

買ってきて、二人でほおばっただけだった。ごめんね。今はアルコ

ール禁止の母さん気遣って、でもなにも言わないで、ケーキ全部食

べられなかった母さん案じてるのが伝わってきた。

 今度は、母さんの頑張る番。あなたの今までのことを思えば、、

どんなことも耐えられる、、。そう思う。

 その手帳には、そのころのことがいろいろ記してあるのだ。

まーちゃんや、みさちゃん、ちえちゃんや、お世話になった看護婦

さんや先生達の思い出もね。

 

 

 

 

 

 

今日からブログにチャレンジ・・・

 もう、新しいブログ開設やめようか~と

泣きべそかいていたところです。
それほど、苦手なのにパソコン歴は25年以上?。そんなこと

とても恥ずかしくって言えない筈なのに、言ってしまいました。

それは夫だった人の勤務していた会社が、パソコン関係の会社

だったから、と、理由はシンプル。したいと思うことは、伝え
だけでるすべて設定完了。一緒に暮していた頃は、説明書など

見たこともなく、ただただ使っていただけだった。

そのことに気がついたのさえ、別れて暮すようになってから。
それからでも、もう13年余、はじめて説明書なるものがあるの

だと知って、読み解き、時には、サポートをお願いしながら良

く今まで使い続けてきたと、わたしを褒めてあげたい。(笑)

今は、独身。3女と暮しています。

写真に挫折、詩やエッセイを書いています。

ささやかな幸せを、たくさんここに止めおけたらいいなぁと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

最大限にブログが活用できて、書き続けられますように!!!